手元供養 | 手元供養製作者の想い

Purport手元供養製作者の想い

「何故?手元供養を想いたったのか?」
を、お話する前に私の背景を少しご説明させて頂きます。

私、オアーゼ・ゴホウ((有)五峰産業)は、四国・香川県高松市庵治町にて【墓石】材、中でも最高級と称されます非常に希少価値の高い「あじ石」を山を削って採掘する事を中心に企業活動を続けています。
「そうなんです。簡単に言いますと石屋なんです。」
どうして石屋が、お墓以外の【手元供養】の製作、提案をはじめたのか?

今から15年前に父親を亡くした事が、そもそもの始まりでした。自宅から10分程に先祖代々の墓所が、ありますが、父親が、健在の頃は、恥ずかしい話ですが、年に1度行くか行かないか・・・でした。今、想えば、深くお墓の意味など考えずにただ、仕事として石を採り、墓を作り、建てていたんです。
なんとも、お粗末な「石屋」です。
そんな不詳の石屋である私が、【親の死】を境に自然にお墓参りに足が、向くように成りました。変われば、変わるものです。

そんな、お参りのある日、唐突に「どうしてだろう、お墓が、冷たく感じるのは?」もんもんとした気持ちで悩んでいた時、「お墓も気軽にさわったり、ふれる事が、出来れば少しは、温もりを感じられるのでは?」と想い、卵型のオブジェを作り、お墓に飾ってみました。これが、不思議に気持ちが、落ち着き、お参りの度にさわっていました。それからしばらく経って、「この大きさなら、自宅、手元に置いていつでもふれあう事が、出来るのでは。」世の中には、私の想いに共感してくれる人も居るだろうと思った事が、私の手元供養の始まりでした。そんな想いを周囲に説明をすると「骨を家に置く・・・気持ち悪い。そんな事をしたら墓が、売れなく成る。・・・」などなど散々の顰蹙をあびました。
FURE-愛 RENしかし、変り者の私は、卵型のオブジェに納骨容器を加え今は、亡き最愛の人といつもふれ愛、語り合って頂きたい想いを込めて、FURE-愛と命名してインターネットで紹介を始めました。2002年の当初は、反応も薄く、静かでした。少しご相談を頂けるようになったのは、2003年の終わり頃でした。
ご縁を頂く皆様が、それぞれに抱える精神的なダメージは、深く改めて私自身の【手元供養】への想いは、篤く成り、『単に、お遺骨を納める容器ではなくご縁ある方々の気持ちが、少しでも和むメッセージが、伝えられる作品を作りたい。』想いは、益々、強く成りました。私は、個人的に【手元供養】は、歌に似ていると思っています。歌は、人の心を勇気づけたり、和ましたりします。残念ながら私は、音楽家ではありませんので私の出来る方法でお役に立てればと想っています。

私達は、何故?高価なお仏壇を飾り、お墓を建てるのでしょうか?

それは、宗教上の儀式だからでしょうか?
一節には、「死者への祈りの始まりは、人類創世期、ネアンデルタール人が、死者に花束をたむけた。」事が、始まりだとあります。
まだどんな宗教も存在しない時代でした。
私は、『死者への恩恵心。敬い。』あらゆる感情も行動も人間が、潜在的にもっている優しさの象徴であり自然な行動だと思っています。

お墓、お仏壇が、現在の様に一般的に成ったのは、以外と新しく日本の高度成長期~バブル経済、一億総中流と言われた約40年位からです。「やっと、少し生活にもゆとりを感じはじめ・・・ご先祖様、両親、のためにお墓をお仏壇を新しくしたい。」そんな想いに成ったんだと思います。
それまでは、歴史的にも社会的、経済的にも【富める人々】が、立派なお墓を建てたり、お仏壇を飾ったりはしていましたが、決して一般庶民の中では、想いは、あっても【高嶺の花】でした。
葬送のかたち、あり方は、経済的要素も重要であることは否定出来ません。
私は、自分の経済力に合った祈りの方法を選択することを強くお勧めしています。

数年前に「千の風になって」が、大ヒットした事は、私達の記憶にも新しいと思います。
「私のお墓の前で泣かないで下さい。私は、そこには、いません・・・」の歌詞から「お墓は、いらない、必要ない」と解釈された方も多いと思いますが、私の解釈は、少し違っています。「例え、立派なお墓が、あっても」大切な人を亡くした悲しみは、そう簡単に癒えるものではく、時間の経過と共に和らいでも決して消える事は、ないと言うことです。
又この歌は、死生観の変化の現れでもあります。
これまでは、遺族が、故人の冥福を祈る生存者側からのメッセージ、行動に対して故人から遺族へのメッセージとして歌われたのが、この歌であり、私達の心をつかんだ理由だと私は、思います。私が、【手元供養】を製作するうえでこだわっているのが、亡くなられた方のご冥福は、もとより、それ以上に考えているのは、【残されたご遺族の気持ち】です。もしも、今、私自身が、死んで残った家族が、泣いている姿を見るより、笑った顔が、見たいと想って製作したのが、約10cm程のオブジェ【笑くぼ】でした。

笑くぼ
現在、私達の生活環境は、経済不況、少子高齢化、など様々な社会問題と不安を抱えながら私達の想像を超えるスピードで変化をしています。そんな時代の中、【手元供養の啓蒙者】の一人としてご縁ある方に少しでもお役に立てるようにこれからも精進していきます。


葬送の選択肢が、拡大する中、皆様ご自身にあった選択をされる事をお勧め致します。
最終的にどんな決断、選択をされても・・・それが、【最良の供養方法である。】と私は、皆様に自信を持って頂きたいと思っています。
これからも【手元供養】を通してご縁ある皆様のお役に立てる様に精進して参ります。
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